2025年10月3日の法話会と次回(2025年11月3日)の報恩講のご案内

まず始めに次回の法話会のご案内をいたします。11月は親鸞聖人のご遺徳を偲ぶ報恩講です。浄土真宗で一番大切なご法要ですので、ぜひお参りください。
(日時)2025年11月3日 13時30分~勤行/14時00分 頃~法話(50分)
(講師)水杉 悟史 師(兵庫県)
(場所)西方寺・本堂
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2025年10月3日の法話会には、福岡県より北嶋文雄先生がご出講くださいました。仏さまとは遠くに仰ぐ存在ではなく、私に既にはたらいてくださっているのであり、そしてその仏さまのはたらきの中で自信の命を受容していった鈴木章子さんという方についてお話くださいました。
一部、ご紹介いたします(以下の文章はお話の中から部分部分を書き起こしてつなげたものであることをご了承ください)。
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私たちの仏様というのは、手を合わせる向こう側にいらっしゃるのではなくて、ここにいらっしゃると言います。
これを一つ分かりやすい譬えを言うと、皆さん方、今日こうやってお寺に参ったということは、今日皆さん方、お寺に参ろうと思って来られたんですよね。
いや、私、今日来るつもりなかったけど、体が勝手に動いてきてしもうたという人はおらんはずです。思ったんですよ。
でね、実はその思いというのはね。私が起こした思いではなくて、向こうの方からの働きかけによって起こった思いだと言います。
そして、そのお寺に前も仏様のお話を聞こうという思いをずっと掘り下げていきますと、それは我々の本当に満たされるものに出会いたいという思いの表れなんだそうです。本当に満たされた人生を生きたいという思いの表れなんだそうです。
そして、その思いは私の中から起こってきたのではなくて、向こうからの働きかけによって起こったと言います。その向こうからの働きかけ、それこそが実は仏様のおはたらきなんですね。こういうことを親鸞聖人という方が教えてくださったわけであります。
また、仏法というのは、私どもに人生の”意味”を与えてくださるものです。
私、仏様のお話を聞かせてもらってつくづく思うのは——人間というのは「事実」で生きている人は一人もいない。みんな「意味」で生きている、ということです。
「意味で生きている」とはどういうことか。
たとえば、夜空に月が出ていたとして、私たちは「ああ、月が美しいなあ、きれいだなあ」と言います。事実は“暗闇に月がある”というそれだけ。でも「きれいだな」「美しいな」と受け取る——これが人間がつけていく“意味”なんですね。世の中は、こうした意味に満ちあふれています。
少し別の例を挙げます。WBCで日本が優勝した時、選手ロッカーのネームプレートがオークションに出ました。たかだかこのくらいの大きさのプラスチック板、事実としてはそれだけの物体です。ところが、それに1,550万円という“値打ち”=意味を見いだす人がいる。これが、人間が“意味で生きている”証拠です。人間はね、事実で生きているのではない。みんな意味で生きています。
河合隼雄さんのカウンセリングにも、これがはっきり表れます。
婚約者を事故で亡くした若い女性が来て、「先生、私の婚約者はなぜ死んだんですか」と問うた。科学者なら「出血多量で亡くなった」と答えるでしょう。事実としては正しい。
でも彼女が尋ねているのはそこではない。「もうすぐ結婚して幸せな生活を築くはずだったのに、なぜ彼は死なねばならなかったのか」という“意味”なんです。たとえ周りが納得しなくても、自分一人が納得できれば生きていける——人間は苦悩の中でも意味を求めずにはいられない、そういう存在なのです。
ここで、『癌告知のあとで』(探究社)という書籍を書いた鈴木章子さんの話をご紹介します。
北海道のお寺の坊守さんをなさっておりました鈴木章子という方がいらっしゃいました。この方、47歳でお亡くなりになっております。
お寺の隣で幼稚園をやってらっしゃって、鈴木章子さんは園長先生でもありました。
毎日、園児さんと触れ合うんですけれども、ある日のこと、園児さんが「園長先生」って抱きついてくるのですが、その時に胸にちょっと違和感を覚えます。
それから病院に行って調べてもらいますと、「あなた乳がんですね」と言われ、そこからずっと治療していくんですけれども、残念ながら乳がんから肺にがんが転移して、最終的には脳にまで転移して、昭和63年12月31日に47歳でお亡くなりになっていかれます。
この方が、乳がんから肺にがんが転移した時、北海道大学病院に入院されます。そのベッドの上から、あるお坊さんにお手紙を書くんですね。
そのお相手が、兵庫県にお住まいの東井義雄というご住職にお手紙を書きました。
(中略)
東井先生から返事が返ってくるのですが、そこには「仏説阿弥陀経の中に今現在在説法とあるように、今現に私たちにお説法くださってあるんですよ」という内容が書かれていました。
そして、その後に続く東井先生の仰ることが凄いんです。
「私たちが普段何か深く考えさせられるということは、それは私が考えたというよりも、仏様が激しく呼びかけてくださってあることなんですよ。我々が普段何か深く気づかされたこと、それこそが仏様のお説法です。だから鈴木さん、これからは何か深く気づかされたり、考えさせられたりしたことは、『仏様の呼びかけ・お説法』として受け取り、その気づいたことをどうかノートに書いていってください。
それがあなたにとって大きな支えとなり、周りの人には大切な道しるべとなります。」――そういうお手紙でありました。
そして、鈴木章子さんはすぐ返事を書きました。
「東井先生、私ね、この仏説阿弥陀経を読みますと、『舎利仏、舎利仏』という弟子の名を呼ぶ言葉が、『章子よ、章子よ』という言葉に聞こえてきます」
それから鈴木章子さん、このベッドの上で深く気づかされたことは仏様の呼びかけだと受け取って、ずっとノートに書いていきます。それが大学ノート何冊にも及びました。
そして、鈴木章子さんが亡くなった後に、その大学ノートに書きつけられた言葉は『癌告知のあとで』という書籍となって出版されました。
(中略)
そして、亡くなる数日前、最後の言葉を書きました。もう脳に転移して鉛筆を握るのがやっとだったようです。
その言葉というのが、「念仏は私に、ただいまの身を納得していただいていく力を与えてくださる」というものでした。言いかえると、「この人生に納得できました。私の人生、これでよかった」ということです。そして、この言葉は自らの力で考えだしたわけでもなければ、自分で納得してつむぎだした言葉でもない ―― 仏さまのはたらきが私のうえに現れている姿でありました。
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